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『樅ノ木は残った』(上・中・下) 山本周五郎 (新潮文庫)
初出 日本経済新聞 昭和29年7月〜30年4月、つづいて昭和31年3月〜9月に連載、その後講談社より昭和33年に刊行。

(上巻)
いわゆる伊達騒動を描いたものでかなり登場人物が多く複雑で頭の中を整理しながら読むことを余儀なくされます。
主人公と目される原田甲斐だけでなく、それぞれの登場人物の人間ドラマが描かれているところが特徴となるのでしょう。
作者のひとりひとりの人物造形の巧みさが十分に表現されていて読者に伝わり本当に楽しめます。
特に殺された遺族である宇乃姉弟と新八が気になりました。あとは妻の律が不憫でしたね。さあ中巻、どんな展開が待っているでしょうか。

(中巻)
冒頭での甲斐と“くびじろ(大鹿)”と対決がとっても印象深く、甲斐の本性というか人間性への理解を深めるとともに作者のエンターテイメント精神にも頭が下がる思いである。
あと印象的なのは酒井雅楽頭との対面シーンというか対決シーンですね。
それと宇乃です、彼女を本当に大事にしているのが甲斐の大きなイメージアップというかこの小説自体の大きなバックボーンとなっているような気がします。
いろんな人物の思惑が入り混じり、本当に読ませる作品であるのですが、最終的にどういった形で収斂させるのか興味がつきません。いよいよ下巻ですね。


(下巻)
決して難解ではないが登場人物が多すぎて頭の整理が常に必要となる読書であったことは間違いないが、わが身を犠牲にして伊達藩を守り抜いた原田甲斐、その潔さと男らしさの象徴として樅の木(伊達藩)は残ります。
この作品は作者にとってはもっとも長い長編小説であるだけでなく、歴史小説として大きな挑戦を施ししています。
歴史的事実を変えずに解釈を変えたのです。それは悪人だと思われていた原田甲斐を敢えて違った描き方への挑戦です。
時には人間らしく時にはストイックに甲斐を描くことにより大きな感動を読者に与えてくれます。主人公だけでなく個性的な脇役たちが本当にドラマチックで共感しまくりです。
宮本新八・おみや・柿崎六郎兵衛・伊東七十郎・中黒達弥・おくみ、そしてなんといっても上意討ちとして殺された藩士の娘である宇乃ですね。
ラストシーンの宇乃の行動、悲しみと幸せは紙一重であるということを読者に知らしめてくれます。
近年の読書でこれだけ読み終わるのが辛かった読書はなかったような気がする。でも読者より甲斐の方がずっと辛かったのですよね。
読者の人生において必ずプラスになる一冊(三冊ですが)。

(総括)
本作は作者の3大長編(残りは『虚空遍歴』と『ながい坂』)の初めの作品でご存じのとおり代表作と言われている作品で、ちょうど50歳代にさしかかった頃で作者の円熟期の最初の作品と言っていいのでしょう。

作者の力量からしてより人間らしいと言って過言ではない脇役たちのサイドストーリーを読んでみたくなった読者は私だけじゃないはずです。
それぞれが極限状態におかれつつも、葛藤しながら儚いけれども一生懸命生きて行きます。
もちろん、本作品内だけでも十分に満足なのですがどちらかと言えば作者の作品を読まれる方は、光のあたらないというか苦労している人間たちにスポットライトを当てて手を差し伸べる作者の得意技に浸りたいと思うのですね。

この作品の素晴らしいところはやはり、驚嘆すべき忍耐力もさることながら普遍性を持たせているところだと思われます。
手法的には“断章”と呼ばれる兵部側の会話文だけでのパートですね、全部で15場面ありますがこれはとっても斬新で臨場感があり面白かったです。

最後になりますが、“樅の木”は作中においてはたとえば宇乃にとっては甲斐の魂とも受け取れますし、もっと広く考えれば残った伊達藩とも取れると思います。
そして私たち読者の人生においては“大事で譲れないもの”ということなのでしょう。
この作品は私たち読者に大きなヒントを与えてくれた人生観を変える指南書でもあるのですね。

評価10点。
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 19:59 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『青べか物語』 山本周五郎 (新潮文庫)
文芸春秋に昭和35年1月〜36年1月連載後、文芸春秋より刊行。
作者58歳の時の作品。

作者が昭和の初めに“蒸気河岸の先生”として住んだ(作者23歳〜26歳のあいだ)漁師町・浦粕(浦安)を舞台とした作者の体験に基づく短編集。 短編集と言うよりエピソード集と言った方が適切なのかもしれません。 それほどいろんな人間が多彩に描かれています。 作者の時代小説に登場する人情家ばかりじゃないところが却って新鮮に感じられ距離感が縮まったような気がします。 いうまでもなく、後日談(30年後)がこの作品をより鮮烈なものとしています。長と再会した場面は実に感動的でした。 文庫解説の平野謙氏の文章の奥の深さにも感嘆しました。

作者の他の作品との大きな違いは、登場人物ひとりひとりが生き生きと描かれていることであろうか。
新潮社のプロフィールで“『青べか物語』(1960)は著者畢生の名作として名高い”と紹介されています。 作者の作品はまだ10作品ぐらいしか読んでいないので私的には正直評価はしにくいのだと思います。 そしてところどころちりばめられている人間模様が作者の時代小説にどう反映されているか、少し早く読み過ぎたような気もするのであるが一読者としての私にに大きな宿題を与えてくれたような気がします。 たくさん読んでその偉大さをわかっていればいるほど感慨深い作品であることには違いないのでしょう。

たとえば前述しましたが作中で三十年後に再訪する場面があってそこがすごく月日を重ねているのがわかるのですね。
そしてこの作品が出て半世紀あまり、モデルとなった浦安市は今やディズニーランドの町として有名です。ただこの作品を通して たとえば浦安を訪問して作中に出て来たような場所を訪れる。素敵なことだと思います。それは30年後に作者が訪れ自分自身の変化というか成長を確認した作者に倣うような感覚でもいいと思います。
亡くなった作者の生き様に触れる瞬間・・・凄く感慨深いことであると思います。

最後に本作は亡くなった作者が元気 に読者に語りかけてくれるように感じる。ただ本作では敢えてよそ者っぽく「私」を演じ語っていて、読者はまるで作中の小学生“長”のように作者と一緒に映画を観たりしているような気分に浸れる。 時代は変わったのだが良いものは変わらない。ずっと読み継がれていく山本文学の真髄を見たような気がしたのですが他作をもっと読み込んで自分なりに再読し再評価したいなと思っています。

評価8点。
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 19:53 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『おごそかな渇き』 山本周五郎 (新潮文庫)
遺作で絶筆の現代もの作品の表題作を含む10編からなる短編集。 初出の期間は昭和17年から42年までにわたる。

映画化された「雨あがる」や「かあちゃん」が収められているがとりわけ「かあちゃん」が秀逸。 究極の逞しくて優しいお母さんが描かれていて、作者の下町ものの代表作とも言える作品だと思われます。 あとは「野分」でしょうか。身分違いの恋が切ないです。 ただ掲載された時期が多岐にわたるために短編集としての統一性には欠けるのも事実ですが逆に言えば、武家もの、下町もの、滑稽もの、平安朝もの、現代ものとバラエティに富んでいて読み応えがあります。 まあ寄せ集めてきな作品集と言えばそれまでなのですが、言いかえれば他の作家では到底味わえない完成度の高い逸品ぞろいの作品群です。

ただ表題作だけは少し難解と言うか理解しづらかったのは事実。 それはまだ周五郎の作品を十分に読み切っていないためなのか、結末まで読めないためか、いずれにしても結論はもっと周五郎の作品を読みつくしてからということで楽しみが増えたなという読書でした。
表題作は作者の宗教観がハッキリと出ており、時代物とは全然ステージの違った作品となっている。残念ながら8回の新聞連載で終わっているのでその後のストーリーがどうなっていたのであろうか思わずにいられない。
もしもっと書ける人生が作者に残されていたら、表題作のような作品の方に傾倒して行ったのかなと思って感慨深く本を閉じたのである。

他の作家との大きな違いは、登場人物ひとりひとりそんなにキャラが立っていず、逆に読者側から見て凄く普遍性のある人物像で描かれているなと言う気がしました。
それだけ作者の人生観が小説の中で生き生きと登場人物を通して描かれ、読者に受け入れられているのでしょう。

評価8点。(読了日2012年6月29日)
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 12:13 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『小説 日本婦道記』 山本周五郎 (新潮文庫)
昭和17年6月から昭和21年まで主に『婦人倶楽部』に掲載された31編のうち作者自ら11編を選んで定本として“小説 日本婦道記”として昭和33年に新潮文庫に組み入れられる。
11編中「桃の井戸」のみ『文芸春秋』に掲載。作者39歳〜43歳の時の作品。

直木賞を辞退したことで有名な本作品集は作者の初期の代表作として知られています。
私は初読なのですが、正直言って若い時に読んでいたら良かったと思いました。
人生も本も出会いって大事ですよね。
特徴は多分枚数の制約があったと思うのですが本当に無駄のない抑制のきいた文章で綴られています。
読んでる方も自然と身が引き締まりますよね。
11編とも武家もので女性が主人公です。イメージ的には教訓的な話かなと思いますが決してそうではありません。
確かに少し理想的な話かもしれませんが、江戸時代と言う時代だからこそ読者に受け入れられるのでしょう。つつましく献身的な女性が見事に描かれています。
どれも素晴らしいのですが印象に残っている話は、夫が領地外追放となっても、失明した姑の元で密かに献身的な努力を重ねる菊枝を描いた「不断草」と、生みの親と育ての親とのあいだでどちらかを選ぶのに悩むお高を描いた「糸車」あたりですね。

全体的にはそうですね、どの編も女性たちが強い信念を持って生きています。
これは書かれたのがほとんど戦時中だったというのも影響してるのかどうか、ちょっとわかりません。
そして中期・後期の短編と比べるのも読書の楽しみだと思っています。
私的には女性が読んで女性はこうあるべきだと学ぶ作品と言うよりも、逆に男性が読んで女性の美しさや尊さを学び周囲の女性に対して今以上の配慮を施す助けとなる作品なのかなと思っています。

さてひたむきで力強い女性たちをあなたも是非堪能して下さい。
きっと読者の襟を正し、何が幸せであるかということを深く考えさせてくれる作品集であると確信しています。

評価9点。
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『赤ひげ診療譚』 山本周五郎 (新潮文庫)
昭和33年オール讀物三月号〜十二月号まで連載後、昭和34年文芸春秋より刊行。
作者55歳の時の作品。

学生時代以来の再読。

一般的には本作と『さぶ』そして『樅の木は残った』の3作品あたりが代表作となるのでしょう。
本作は8編からなる連作短編集と言えそうです。

もっとも読ませどころは、やはり登こと保本登が初めは不貞腐れて医師見習いとして小石川養生所に住み込みとして働くようになったのですが、赤ひげこと新出去定をやがて慕っていく過程が登の人間的成長とあいまって読者の共感を誘わずにいられないところです。
これは衆目の一致するところですが、それ以外にも他の時代小説の作品よりもインパクトの強い要素が盛り込まれています。
初めは婚約者のちぐさに裏切られ、失意の底にあった登で初めは赤ひげに反抗的な態度をとります。
そして徐々に(話が進むに連れて)心を開いて行きます。

やはり他の登場人物もそうですが赤ひげ先生の個性の強さが際立っているような気がしました。
しかしながら学生時代に読んだ時は赤ひげ先生の言葉があまり心に響きませんでした。
ちょっと距離の遠い存在だったというか読み込みが浅かったのですね(汗)
今回は自分自身、登より赤ひげの年齢に近くなったのでズシンと心に響きました。
彼は一見達観しているように見えます。事実そういう面もあると思います。
でもそれだけじゃなく、世の中に憤りを感じているのですね。
その憤りは私的には登以上に赤ひげが感じていると思います。

その憤りを作者は結構容赦なく物語の中にいろんな心に病を持つ人を登場させることによって読者に知らしめようとします。
そしてそれぞれの話(事件と言った方がいいのかな)を赤ひげと登で対処して行きます。
もちろん登のフィルターよりも赤ひげのフィルターの方が厳しい視点ですわ。
それを確かめれただけでも再読の価値があったと言えますね。
何冊周五郎作品を読んだかにもよると思いますが、作者の哲学の集大成が語られていると言っても過言ではないような気がします。
読みこめば読みこむほど、赤ひげ先生が一見とっつきにくい存在からカッコよくて立派な存在に変わるのだと思います。
病院(診療所)を舞台としているだけに、単なる人情話だけでなく命の大切さや人間の本質を問うより厳しい物語となっています。
作者は天国から読者に対して、現代においても人間は精神的に貧乏であってはならないと読者に諭してくれているのだと思いますね。

逆に主人公・登の成長はサイドストーリーともなっている恋物語の行方で読者に通じるところが楽しいですね。
登がちぐさからまさをに対して理解するところは本当に心地よくほっと胸をなでおろせます。
まるで作者がコツコツやれば人生いいことがあるものだと教えてくれているようですね。

読者にとって本作は主人公登の恋物語も含めた成長物語としても楽しめ、また世の中というか人生と言うか両方ですね、その厳しさを学ぶこともできます。
いわば一粒で二度おいしい作品で噛めば噛むほど味わうことが出来ると思います。
なぜならたとえ内容が分かっていても再読すれば自分の成長と達観度を窺い知ることが出来るからです。

それぞれの話、泣かせる話が盛り込まれていてそれだけでも感動的なのです。
個人的には登が赤ひげ先生をリスペクトして行く過程がもっとも感動的だと思います。
そういった気持ち、現代人は忘れがちですよね。
人間、“誰しもこんなはずではなかった”ということがあります。
そういう逆境に陥った時に本作を思い出すと必ず読者の味方となってくれる一冊であると確信しています。

私は3回目はもっと早く読もうと思っています。
次に読めば今回以上に登が赤ひげ先生の人格に魅せられていく気持ちがわかると思いますから。

評価10点。
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『さぶ』 山本周五郎 (新潮文庫)
評価:
山本 周五郎
新潮社
¥ 704
(1965-12)

昭和38年週刊朝日に連載後、新潮社から刊行。

学生時代以来の再読。
ひとことで言えば、若い時は感動したんだけど感銘を受けませんでした。
そして今は逆というか両方ですね、感動しそして感銘を受ける作品です。

以前読んだ時は熱い友情を描いた青春物語だと単に思ったのですが、再読してみて栄二の成長物語だなと強く感じました。
言い換えれば、さぶを必要不可欠とする栄二の再生物語ですね。
そして男性読者の視点で言えば、読者自身が栄二的かさぶ的かによって捉え方が違ってくると思います。
とりわけ若い読者はそうだと思います。
年齢を経て人生達観するようなるとやはり懐も深くなり視野も広がります。
だから今回はいろんな観点から読むことができました。

まずは栄二とさぶ、瀬尾まいこの『図書館の神様』での話ではないですが、主人公は栄二のほうです。
二人は同じ年で小舟町の芳古堂という経師屋に奉公に来ています。
栄二は男前で何をやらせても器用で女にもてます。一方さぶはいつになっても糊の仕込みから抜けだせない、愚鈍だが
真面目で誠実、でも女にもてません。
性格は反対なのですが実は孤独なのは栄二の方で、さぶには実家が存在しています。
物語の冒頭、さぶが実家に帰ろうとするところを栄二が引きとめるシーンが印象的です。

女性の話が出たのでつけ加えますが 本作は側面的に見ると女性の熱い恋物語だとも言えます。
女性によって栄二の人生が狂わされるというか試練を与えられるというか、このあたりは読んでのお楽しみですね。
おすえとおのぶ、どちらがより栄二を想っているのだろうか考えながら読むと奥が深いです。

ストーリー的には栄二は得意先にて身に覚えのない無実の罪を押し付けられます。
そしてあげくの果ては石川島の人足寄場へと送り込まれます。
物語の半分以上がこの石川島でのお話となるのですが、そこで自暴自棄となって心を閉ざしていた栄二が徐々に心を開いて行きます。
人足寄場にて個性的な人達と知り合い成長して行きます。

初読の時はどうしてもラスト付近の秘密の種明かし部分があっけないというか軽いなと感じました。
私も若かったのですね。
おすえの告白により栄二とおすえの絆が深まったことに気づきませんでした。
というか認めたくなかったのでしょう、若い時は。
まるで若い時の私自身が無実の罪に陥れられて、復讐に燃えていた前半部分の栄二のようだった気がします。
結局、栄二だけでなくおすえやおのぶも成長したのですね。
黙っていてもよかったのですが、成長した栄二をみて告白することが出来たのでしょう。

ここはその前のあたかもさぶを犯人だと疑った栄二を払拭する形で種明かしが披露されているんだと思いました。
まさかさぶがと読者も思ったはずです。
作者が最もさぶらしいところを演出したんだと思います。

この物語は人間ひとりでは生きていけないということを読者に教えてくれます。
栄二にとってはさぶだけでなくおすえやおのぶ、人足寄場の人達に支えられて成長しました。
ただ栄二にとって一番必要不可欠なのは妻のおすえではなくさぶなのですね。
さぶは妻のおすえよりも献身的なのですから。
もっとも重要な点というか読み落としてはいけないところは、あたかも栄二がさぶの面倒を見ているように見えます。
事実冒頭なんかはそうなのですが、それ以上にさぶに支えられているのですね。
これはほとんどの読者が気付く点だと思います。
妻より友人と言うのは男にとってどうなんだろうと思いますが、この作品のタイトル名ともなっている所以だと思います。
人それぞれ良いところ悪いところがあります、栄二とさぶの関係は良いところ悪いところを補える最高のパートナーの関係なのです。
同じ年だけど、栄二は兄貴分、さぶは弟分、誰も異論はないはずです。

本作は作者の人間と言うものを巧みに描いた晩年の傑作だと言えそうです。
私はこの作品から人を信じ、人を許すことを学び取った気がします。
心に響く名作、作者に感謝したいです。

評価9点
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『柳橋物語・むかしも今も』 山本周五郎 (新潮文庫)
「柳橋物語」評価10点。

昭和21年「新青年」にて連載。
凄く胸が打ちひしがれる物語です。
この物語はやはり究極の三角関係といったらよいのでしょうか。
主人公のおせんを幼馴染として育った2人の男である庄吉と幸太がとりあうのですね。
実はとりあうという表現ほど直接的じゃないのです。
庄吉は大坂に行って、残されたのは幸太とおせんです。

おせんは将来を庄吉に誓うことによって操をたてるのですが、物語は江戸を襲った火事によって急変するのですね。

学生時代、初めて読んだ時は庄吉に告白されて彼を待ち、結果として翻弄されて生きることを余儀なくされているおせんに対して凄く同情的な気持ちになりました。

そしてその後、庄吉と再会、大きな誤解が生じ2人の間に大きな溝が生じます。
その後最終的におせんのとった行動に拍手を送ったものでした。
凄く女性としてまた人間として立派なものだと強く感じました。
その根底にはやはり拾った赤子を幸太の子供として育てていくという強い気持ちがあったにもかかわらず、読者は本当の幸太の子供ではないということを知っているからです。
おせんに対してやはり不幸な女性であるという偏見めいた見方をしてたんだと思います。
そしてそういう見方も偏見と言う言葉を使いましたが、決して無理のある見方ではない、どちらかといえば主流なのかなと思います。

今回、再読して逆に感じたのは、おせんが決して不幸な境遇だったとは思えなかったのです。
逆にこちらは少数意見かもしれませんね、とりわけ女性読者からはお怒りを買うかもしれません。
私は却って針仲間のおもんの身を持ち崩して行く姿がおせんよりも不幸なように感じました。

というのは、庄吉はこの物語の中ではどちらかと言えば悪役めいた役割を演じてますが、物語の初めの告白から江戸に戻ってくるまで、少なくともおせんに対する愛情は尋常なものではなかったはずだと私は確信しています。
そして男は結構疑い深いというか、本作にあるシチュエーションからして誤解が生じて当然だと思います。
まあそのあたり、作者の力量の確かさでしょうね。

いずれにしても、主人公のおせん、最後にはたくましく生きることを貫きます。
そのたくましさが“八百屋”を営むことによって描かれているところが作者の優しさなんでしょうね。

そのたくましさの源は死んだ幸太の愛情だけでなく、冷めきってますが過去の庄吉へのいちずな思いがそうさせたんだなと私は捉えています。

人を愛することって難しいけど素晴らしいことです。
その答えを読者なりに見つけだすことができる傑作中編だと思います。
初読の時、自分も若かったのでページをめくるのが辛かったのを覚えています。
そして今回再読して逆に清々しくさえ感じました。

つけ加えておきたいのは江戸の大火のシーン、凄くリアリティがあります。
ちょうど書かれたのが終戦直後だったので凄く生々しく感じられました。

未読の方是非手に取ってください。
作者の力量は読者を元禄の江戸の世界にいざなってくれます。


「むかしも今も」評価9点。

昭和24年「講談新誌」に連載。
こちらは「柳橋物語」よりもハートウォーミングな話ですね。
作者はいちずに人を想うことの素晴らしさを伝えたかったのでしょう。

主人公の直吉は愚直で風采の上がらない男として描かれています。
まるで作者の代表作の“さぶ”のキャラですね。
彼は幼い時に両親を亡くし、紀六という指物師の家に世話になり、まきの子守役となります。
対照的にまきの夫となる清次は美男で大店の出です。
物語としてはやはり予想通り、その美男の清次とまきが結ばれ結婚します。
だが清次の欠点が露呈されるのですね。

まきと結婚してからも博打をやめることが出来ずに落ちるところまで落ちる清次。
直吉は亡くなったまきの親父さんから後見を頼まれてるのです。

物語に“つき当たり”という言葉が出てきて重要な役割を演じています。
これは直吉とまきとが幼いころに遊んだ場所の名前なのです。
いわば2人の長年の愛情が築き上げられた場所として描かれています。
とりわけ直吉のやさしさは女性読者から圧倒的な支持を受けると思います。
そしてその優しさの根底は誠実さと義理堅さなのですね。

まきが失明した後も献身的に支える直吉の姿が印象的です。
これはなかなかできませんよ。

ラストが少しはっきりせずに読者に委ねている部分のあるのが作者の心遣いだと受け取っています。
私的には若気のいたりで、まきも清次に想いを一時的に寄せたのですが、ずっとまきと直吉との間には深い愛情がお互いに芽生えそして育っていたんだと思います。
お互いが相手をいたわっているのですね。

柳橋物語の庄吉よりも清次は悪人と言うか弱い人間として描かれています。
ちょっと救いがないですね。

この二つ物語を総括すると、結果として幸せを掴みとれそうな「むかしも今も」、逆に愛したであろう人がすでに亡くなった「柳橋物語」、作者はいわば両極端のエンディングを用意しているのですが、読者は作者の筆力に翻弄され結果として陶酔します。

そして最後には江戸時代であれ現代に通じること、そう人は人を愛さずにいられない儚いけど素敵な生き物なんだということを再認識してしまうのです。
それはホッと胸をなでおろす感覚に似ているような気がします。

私はおせんと直吉、二人の主人公の芯の強さを少しでも見習いたいなと思い本を閉じました。
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |-