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『かあちゃん』 (2001日本映画)
評価:
山本周五郎
日活
¥ 3,012
(2002-06-21)

市川崑監督作品。
主演岸恵子。

原作は山本周五郎の短編集『おごそかな渇き』に収められている。原作は50ページぐらいなので話は結構膨らませているが、岸恵子の名演技と脚本の良さで暖かな気持ちにさせてくれる原作に勝るとも劣らずの出来栄えの作品であると言えます。

親の究極の愛情を示した作品と言えますね。
親子でコツコツお金をためている事情からして泣ける話です。
そして泥棒である勇吉を自分の家族のように迎え入れるのですが結構違和感なく受け入れられます。
小説では少し重苦しいのですが映画では長屋の面々がコミカルに演じているので楽しく感じられました。
コロッケが物まねを披露していますし、おさんちゃんが勇吉に対して惚れて行くところも可愛く感じます。

映画のひとつの見どころは勇吉が初めおかつの家族に親切にされることを気味悪がっていたのが払しょくされて心開いて行く過程です。

個人的には日本アカデミー賞受賞の『雨あがる』よりも内容的には勝っていると思います。
ひとことで言えば泣けるんだけど爽やかな作品に仕上がってます。
それは岸恵子演じるおかつが逞しいほかありません。

評価9点。
posted by: トラキチ | DVD(国内) | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『ふがいない僕は空を見た』 窪美澄 (新潮社)
初出第1話「小説新潮」、第2〜4話「ケータイ文庫」、第5話書き下ろし。

第24回山本周五郎賞受賞作。

5編からなる連作短編集と言うことですが本作が掲載そして出版された経緯から事情(第1話が第8回女による女のためのR−18文学賞大賞を受賞)があるのはわかっていますが、初めの2編は本当に性描写が生々しすぎて少し引きました。
読み終えて最初の2編は生よりも性、最後の3編は性よりも生を主題としているような気がします。
それぞれ独立した読み物としたら楽しめるとは思いますが、作品全体としてラストで命の尊さを謳ったいるところや息子(斉藤)を想う母親の気持ちを描いていますが、帳尻を合わせたというかインパクトが弱いような気がします。
なぜなら私的には2〜4編目の登場人物の方が共感というか同情できました。
だからラストの斎藤君の母親が主役を張るところも少し共感ができませんでした。最終編では斎藤君の父親のエピソード等が語られ、通常はグッとくるところなのでしょうが、どうしても斎藤君は悩んでいるのでしょうが生きざまとして努力がなんだか足りないような気がしました。
いわばふがいなさすぎるのですね。
タイトル名は秀逸で“ふがいない僕は空を見た”の“僕”って読者のことでもあると解釈しています。
作中の登場人物ほどではないにせよ、誰しも持っている自分自身のふがいない部分をレクチャーされたような気がします。
私たちも空を見なければいけません。
結論としては個性的で斬新で読みごたえはあるんだけど、少し過大評価されすぎている印象は拭えないかなと思います。

この作品は読者の性別によってかなり感じ方に差が出てくると思います。
まず女性が読めばあんずが加害者で卓巳が被害者のような図式で読まれるんじゃないかなと思います。
私はそうは思いませんでしたそこが大きいですよね。
そこで斉藤の家が助産院をしていることが重要なポイントとなってきます。
助産院の仕事の手伝いをすることがある卓巳なのですが、女性読者だとそのことでかなり同情的な気持ちになるんじゃないだろうかと思います。
男性読者の私は、家でそんなことをして生の苦しみを知っているのになんであんなことをするのかなと思うわけです。
まして15歳でね、早すぎますよね。普通母親の苦労もっとわかるでしょと言いたいんですね。
だから通常もっとも理解できないであろう松永の兄(3編目)よりも理解できないです。
最後に泣いてもあんまり許したくないような気持ちにさせられます、ちょっと曲解かもしれませんが。

もっとも感動的なのは第4話の「セイタカアワダチソウの空」。貧困にあえぐ良太がいとおしく感じられます。
とりわけ斉藤のビラをまいて悪意のあった良太とあくつが田岡の言動によって改心されるところが印象的ですね。
私はどうしても斉藤と良太を比べてしまい、良太の方に感情移入してしまいました。
ただ私の捉え方もひとつの捉え方だと思います。
それだけ生きることが難しくって不条理な世の中なのでしょう。

総括すれば本作は現代に生きる日常の不条理を世に問うビビッドに描写した問題作だと言うことでしょうか。
敢えて傑作だとはいいません、問題作だと言っておきますね(笑)
ただ今後もっともっと成長する余地のある作家であることは間違いないと思います。

評価7点。
posted by: トラキチ | 窪美澄 | 19:18 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『小説 日本婦道記』 山本周五郎 (新潮文庫)
昭和17年6月から昭和21年まで主に『婦人倶楽部』に掲載された31編のうち作者自ら11編を選んで定本として“小説 日本婦道記”として昭和33年に新潮文庫に組み入れられる。
11編中「桃の井戸」のみ『文芸春秋』に掲載。作者39歳〜43歳の時の作品。

直木賞を辞退したことで有名な本作品集は作者の初期の代表作として知られています。
私は初読なのですが、正直言って若い時に読んでいたら良かったと思いました。
人生も本も出会いって大事ですよね。
特徴は多分枚数の制約があったと思うのですが本当に無駄のない抑制のきいた文章で綴られています。
読んでる方も自然と身が引き締まりますよね。
11編とも武家もので女性が主人公です。イメージ的には教訓的な話かなと思いますが決してそうではありません。
確かに少し理想的な話かもしれませんが、江戸時代と言う時代だからこそ読者に受け入れられるのでしょう。つつましく献身的な女性が見事に描かれています。
どれも素晴らしいのですが印象に残っている話は、夫が領地外追放となっても、失明した姑の元で密かに献身的な努力を重ねる菊枝を描いた「不断草」と、生みの親と育ての親とのあいだでどちらかを選ぶのに悩むお高を描いた「糸車」あたりですね。

全体的にはそうですね、どの編も女性たちが強い信念を持って生きています。
これは書かれたのがほとんど戦時中だったというのも影響してるのかどうか、ちょっとわかりません。
そして中期・後期の短編と比べるのも読書の楽しみだと思っています。
私的には女性が読んで女性はこうあるべきだと学ぶ作品と言うよりも、逆に男性が読んで女性の美しさや尊さを学び周囲の女性に対して今以上の配慮を施す助けとなる作品なのかなと思っています。

さてひたむきで力強い女性たちをあなたも是非堪能して下さい。
きっと読者の襟を正し、何が幸せであるかということを深く考えさせてくれる作品集であると確信しています。

評価9点。
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 20:59 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『さがしもの』 角田光代 (新潮文庫)
2005年 『この本が、世界に存在することに』というタイトルでメディアファクトリーより単行本刊行、文庫化の際『さがしもの』に改題。

再読。本にまつわる話を綴った短編集。 自称本好きの人って多いでしょうが、角田さんほど本を好きな人が作家を生業とすることができるのかと納得させられます。 それぞれの話、恋愛話を絡めて淡々と紡いでいるようですが実は結構奥が深いです。 作者の他の短編集はほとんどメインが恋愛ですが本作では恋愛がサブなところがよいですね。 その奥の深さはどれだけ読者が本を好きかのバロメーターともなっているような気がします。 あたかも本好きのための指南書のようであるけれど、実はテストを受けているような気持ちにさせられますね。
ただそのテストも心地の良いものですが(笑) 全9篇中冒頭の「旅する本」と「ミツザワ書店」が秀逸。 ともに古本を扱っています、本好きの彼氏のいてる方、バレンタインにチョコレートよりも本作をプレゼントしてください(笑) あらためて恋人同志で本の素晴らしさを実感できることだと確信しています。

どの話も本を読むこと、本に携わることによって人生が変わったという話がドラマティックに語られています。
ある時は自分の変化のものさしとして、ある時は自分の過去を振り返る格好のパーツとして登場します。
一見したところ、本によって人生を翻弄されているという風にもとれません。
でもそこが本好きの読者たち、作者の暖かい眼差しが伝わってくるのですね。
そう、本と関わることによって心だけでなく人生も豊かになっているのです。

本を読むのが好きな人は読んでいる時って本当に幸せを感じますよね。
本作は圧倒的な感動度は薄いかもしれませんが、内容が内容であるだけに幸せを感じざるを得ません。
まるでこの本と出会ったのが運命であったかの如くです。

それは作者の本に対する愛情や世界観が読者に大きく伝わったからだと思います。
そしてどの短編だったかな、年月を経たら同じ本でも感じ方が違うということが書いてありました。
凄く的を射た言葉なんだけど、この本に関してはそうじゃないと思います。
なぜならこの本は本好きのための“共感小説”だと思うからです。
いつ読んでも本作の内容には納得できるものだと思います。
もっと言えば本好きの気持ちを代弁してくれている作品集なのです。
作者の傑作短編集『Presents』の本のテーマ版だと思ったらちょうどいいかな。

だから他の作品集のような女性特有のどろどろした話を期待しないでください。
それは他の作家そして別の機会でも書けますので(笑)

作者は本作を通じて読書との距離感を凄く近いものにしたと思います。
それは9つの短編のあとに収められている巻末エッセイで確かなものとなりました。
この本を読んだ他の読者と友達とまでは言えないけど“同志”って気持ちにさせられます。
作者の本に対する愛情がぎっしり詰まった本作、読後感の良さ、内容からして今年も「新潮文庫の100冊」に是非入って欲しいなと切に思います。

評価9点。
posted by: トラキチ | 角田光代 | 13:46 | comments(2) | trackbacks(0) |-
『笑い三年、泣き三月。』 木内昇 (文芸春秋)
評価:
木内 昇
文藝春秋
¥ 1,680
(2011-09-16)

初出 別冊文芸春秋。

直木賞受賞第1作。
昭和21年、ちょうど日本が戦後復興に入るところから物語が始まります。
主な登場人物は下記の4人。
旅回りの万歳芸人の岡部善造、活字中毒の戦災孤児の田川武雄、ひねくれ者の復員兵の鹿内光秀、そして紅一点ダンサーのふうこ。
舞台は東京・浅草のストリップ小屋、ぼろアパートでの4人の共同生活が途中から始まります。
作者はその時代を“卵かけご飯”がとっても贅沢だった時代だと表現しています。 はじめはちょっととっつきにくい登場人物にページが進みにくいのですが心配無用で、やがてそれぞれの個性的な人物たちの魅力にとりつかれます。
それぞれが夢を持って生きていることが共感の一番大きな要因だと思います。
読み始めに主人公だと思ってた善造が実はそうとも言えず、もっともまっとうな人物であることに気付かせてくれます。 個人的には光秀の勘違いの恋が滑稽でしたし、戦争孤児の武雄の意識の変化がもっとも感動的でした。

あとはふうこさんですね。女性としてはどうかわかりませんが、人間としては魅力的だと言っておきます(笑)
主要登場人物それぞれ少なくとも私の希望通りに物語を集結させてくれるあたり作者の筆力の高さが窺い知れるものだと言えそうです。
作者はいろんな価値観の人生があって、それぞれを肯定かつ応援しています。それは現代に生きる私たちにも通じていてまるで読者の背中を押してくれているように感じられますね。
もちろん、現代に生きる私たちも悩みは多いのですが本作に登場する人々ほど大きなものを背負っていません。

それはやはり国家自体が背負った戦争というものの代償の大きさだと思います。
いわば、私たちの悩みは“こうして日本が成長し豊かになったがゆえに生じた悩み”なのでしょう。
だから前述した“卵かけご飯”を食べる当時の贅沢なシーンが凄く生々しく感じられます。
それは私たちが贅沢になりすぎて忘れてしまったものが大きいということだと思います。
それを作者は個性豊かで夢があって逞しい登場人物を交えて読者に知らしめてくれたのだと思います。

「漂砂のうたう」同様、見事な時代考証は参考文献の多さからも窺い知れますが本作の方が救いが多く万人受けする内容だと思います。

最後に私たちが本作のような作品を読めることは日本が見事に復興したことの証しだと思います。
小さなことにくよくよしてはいけない。
必ずそう思わせてくれるそれほど本作は読者に元気をくれる一冊です。

評価9点。
posted by: トラキチ | 時代小説 | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『雨あがる』 (1999日本映画)
評価:
山本周五郎,黒澤明
パイオニアLDC
¥ 4,800
(2000-09-06)

脚本が黒澤明です。
原作は『おごそかな渇き』(新潮文庫)の中の収録されている短編です。
原作を読みましたが滑稽小説の範疇に入ります。
だから原作が山本周五郎と言うことで人情ものとして期待をして見たら少し肩すかしをくらうかもしれません。
ただし寺尾聰の殺陣シーンは魅力的ですね。
あとはラスト近くの妻役の宮崎美子の夫を擁護するセリフは頼もしくカッコいいです。
ラストも心が晴れます。
私は妻があってこそ潔く生きれているのだなと感じました。

イメージと違いどちらかと言えば爽やかな作品の部類に入ります。
ただ日本アカデミー賞を受賞するほどのものかなと思ったりはしますね。
やはり黒澤明の名前が大きいのかなと思ったりします。
続けて『赤ひげ』を観てるのですがどうしてもその骨太さを比べてしまい、評価は低いものとなりました。

評価6点。
posted by: トラキチ | DVD(国内) | 19:36 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『赤ひげ診療譚』 山本周五郎 (新潮文庫)
昭和33年オール讀物三月号〜十二月号まで連載後、昭和34年文芸春秋より刊行。
作者55歳の時の作品。

学生時代以来の再読。

一般的には本作と『さぶ』そして『樅の木は残った』の3作品あたりが代表作となるのでしょう。
本作は8編からなる連作短編集と言えそうです。

もっとも読ませどころは、やはり登こと保本登が初めは不貞腐れて医師見習いとして小石川養生所に住み込みとして働くようになったのですが、赤ひげこと新出去定をやがて慕っていく過程が登の人間的成長とあいまって読者の共感を誘わずにいられないところです。
これは衆目の一致するところですが、それ以外にも他の時代小説の作品よりもインパクトの強い要素が盛り込まれています。
初めは婚約者のちぐさに裏切られ、失意の底にあった登で初めは赤ひげに反抗的な態度をとります。
そして徐々に(話が進むに連れて)心を開いて行きます。

やはり他の登場人物もそうですが赤ひげ先生の個性の強さが際立っているような気がしました。
しかしながら学生時代に読んだ時は赤ひげ先生の言葉があまり心に響きませんでした。
ちょっと距離の遠い存在だったというか読み込みが浅かったのですね(汗)
今回は自分自身、登より赤ひげの年齢に近くなったのでズシンと心に響きました。
彼は一見達観しているように見えます。事実そういう面もあると思います。
でもそれだけじゃなく、世の中に憤りを感じているのですね。
その憤りは私的には登以上に赤ひげが感じていると思います。

その憤りを作者は結構容赦なく物語の中にいろんな心に病を持つ人を登場させることによって読者に知らしめようとします。
そしてそれぞれの話(事件と言った方がいいのかな)を赤ひげと登で対処して行きます。
もちろん登のフィルターよりも赤ひげのフィルターの方が厳しい視点ですわ。
それを確かめれただけでも再読の価値があったと言えますね。
何冊周五郎作品を読んだかにもよると思いますが、作者の哲学の集大成が語られていると言っても過言ではないような気がします。
読みこめば読みこむほど、赤ひげ先生が一見とっつきにくい存在からカッコよくて立派な存在に変わるのだと思います。
病院(診療所)を舞台としているだけに、単なる人情話だけでなく命の大切さや人間の本質を問うより厳しい物語となっています。
作者は天国から読者に対して、現代においても人間は精神的に貧乏であってはならないと読者に諭してくれているのだと思いますね。

逆に主人公・登の成長はサイドストーリーともなっている恋物語の行方で読者に通じるところが楽しいですね。
登がちぐさからまさをに対して理解するところは本当に心地よくほっと胸をなでおろせます。
まるで作者がコツコツやれば人生いいことがあるものだと教えてくれているようですね。

読者にとって本作は主人公登の恋物語も含めた成長物語としても楽しめ、また世の中というか人生と言うか両方ですね、その厳しさを学ぶこともできます。
いわば一粒で二度おいしい作品で噛めば噛むほど味わうことが出来ると思います。
なぜならたとえ内容が分かっていても再読すれば自分の成長と達観度を窺い知ることが出来るからです。

それぞれの話、泣かせる話が盛り込まれていてそれだけでも感動的なのです。
個人的には登が赤ひげ先生をリスペクトして行く過程がもっとも感動的だと思います。
そういった気持ち、現代人は忘れがちですよね。
人間、“誰しもこんなはずではなかった”ということがあります。
そういう逆境に陥った時に本作を思い出すと必ず読者の味方となってくれる一冊であると確信しています。

私は3回目はもっと早く読もうと思っています。
次に読めば今回以上に登が赤ひげ先生の人格に魅せられていく気持ちがわかると思いますから。

評価10点。
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 20:02 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『麦屋町昼下がり』 藤沢周平 (文春文庫)
初出 オール読物(1987〜1989)連載後文芸春秋より1989年刊行。

海坂藩が舞台の武家ものの4編からなる円熟期の中編作品集。
通常の藤沢作品の短編の倍ぐらいの長さがあるので、それぞれの登場人物の人生が意外と克明に描かれています。
確かな伏線が敷かれていて、かつそれぞれ決闘シーンがありハラハラし緊迫感があります。
その決闘シーンも、読者は“避けられなかったんだな”と納得して読めます。
全編通して静謐な文章の中に潜む、葛藤しつつも力強く正義を貫く生きざまを堪能できます。

本作は武家ものなんだけど、私たちの日常に通じるテーマが描かれていてとても他人事とは思えません。
いつの時代も不正ってありますよね(笑)
いずれもがそんなに身分の高くない人物が主人公なので、読者も低い位置からまるで自分のことのように物語の中に入っていけます。

最もハラハラするのは表題作の「麦屋町昼下がり」ですね。自分より明らかに強い弓削新次郎との対決が迫る緊張感。相手との決闘がいつになるやらと思わずにいられません。
婚約相手がたまに見え隠れするところも意地らしく感じました。
意地らしいのはドラマ化もされたラストの「榎屋敷宵の春月」、女主人公・田鶴の強い生き様と彼女の主人の頼りなさのコントラストが印象的です。作者が天国より男性読者に叱咤激励してくれているみたいに感じられました。
インパクトの強い作品です。亡兄を理想とすることによってより激しく芽生えた友人三弥との競争意識。でも主人公は感服するほど力強く生きています。
あとは「三ノ丸広場下城どき」の重兵衛と茂登との恋の行方も物語のサイドストーリーですがほのぼのしてて楽しいです。
「山姥橋夜五ツ」の離縁した孫四郎と瑞江との行く末も気になりました。

藤沢作品の中ではミステリー仕立てでエンターテイメント性も高い方だと思うのですが、もちろんそれだけではありません。
結構友情が描かれていて、その中には純粋なものもあれば、妬みや競争心を煽られている話もあります。
そしてどの話も結果はどうであれ主人公たちの正義が貫かれているのですね。
決して勧善懲悪的な話ではありません。
かなり清々しく読めますので感動すると言うより作者の手だれぶりを十分に味わうべきですね。
理不尽なことに対してどう対処して生きたらよいのかという処方箋となりうるというか方向性を読者に示唆してくれていると言ったらよいのかな。

巧みなストーリーテリングに身をまかせながら楽しくて人生の勉強になる読書タイム、藤沢作品の真髄を味わえる贅沢な作品集です。

評価8点
posted by: トラキチ | 藤沢周平 | 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『さぶ』 山本周五郎 (新潮文庫)
評価:
山本 周五郎
新潮社
¥ 704
(1965-12)

昭和38年週刊朝日に連載後、新潮社から刊行。

学生時代以来の再読。
ひとことで言えば、若い時は感動したんだけど感銘を受けませんでした。
そして今は逆というか両方ですね、感動しそして感銘を受ける作品です。

以前読んだ時は熱い友情を描いた青春物語だと単に思ったのですが、再読してみて栄二の成長物語だなと強く感じました。
言い換えれば、さぶを必要不可欠とする栄二の再生物語ですね。
そして男性読者の視点で言えば、読者自身が栄二的かさぶ的かによって捉え方が違ってくると思います。
とりわけ若い読者はそうだと思います。
年齢を経て人生達観するようなるとやはり懐も深くなり視野も広がります。
だから今回はいろんな観点から読むことができました。

まずは栄二とさぶ、瀬尾まいこの『図書館の神様』での話ではないですが、主人公は栄二のほうです。
二人は同じ年で小舟町の芳古堂という経師屋に奉公に来ています。
栄二は男前で何をやらせても器用で女にもてます。一方さぶはいつになっても糊の仕込みから抜けだせない、愚鈍だが
真面目で誠実、でも女にもてません。
性格は反対なのですが実は孤独なのは栄二の方で、さぶには実家が存在しています。
物語の冒頭、さぶが実家に帰ろうとするところを栄二が引きとめるシーンが印象的です。

女性の話が出たのでつけ加えますが 本作は側面的に見ると女性の熱い恋物語だとも言えます。
女性によって栄二の人生が狂わされるというか試練を与えられるというか、このあたりは読んでのお楽しみですね。
おすえとおのぶ、どちらがより栄二を想っているのだろうか考えながら読むと奥が深いです。

ストーリー的には栄二は得意先にて身に覚えのない無実の罪を押し付けられます。
そしてあげくの果ては石川島の人足寄場へと送り込まれます。
物語の半分以上がこの石川島でのお話となるのですが、そこで自暴自棄となって心を閉ざしていた栄二が徐々に心を開いて行きます。
人足寄場にて個性的な人達と知り合い成長して行きます。

初読の時はどうしてもラスト付近の秘密の種明かし部分があっけないというか軽いなと感じました。
私も若かったのですね。
おすえの告白により栄二とおすえの絆が深まったことに気づきませんでした。
というか認めたくなかったのでしょう、若い時は。
まるで若い時の私自身が無実の罪に陥れられて、復讐に燃えていた前半部分の栄二のようだった気がします。
結局、栄二だけでなくおすえやおのぶも成長したのですね。
黙っていてもよかったのですが、成長した栄二をみて告白することが出来たのでしょう。

ここはその前のあたかもさぶを犯人だと疑った栄二を払拭する形で種明かしが披露されているんだと思いました。
まさかさぶがと読者も思ったはずです。
作者が最もさぶらしいところを演出したんだと思います。

この物語は人間ひとりでは生きていけないということを読者に教えてくれます。
栄二にとってはさぶだけでなくおすえやおのぶ、人足寄場の人達に支えられて成長しました。
ただ栄二にとって一番必要不可欠なのは妻のおすえではなくさぶなのですね。
さぶは妻のおすえよりも献身的なのですから。
もっとも重要な点というか読み落としてはいけないところは、あたかも栄二がさぶの面倒を見ているように見えます。
事実冒頭なんかはそうなのですが、それ以上にさぶに支えられているのですね。
これはほとんどの読者が気付く点だと思います。
妻より友人と言うのは男にとってどうなんだろうと思いますが、この作品のタイトル名ともなっている所以だと思います。
人それぞれ良いところ悪いところがあります、栄二とさぶの関係は良いところ悪いところを補える最高のパートナーの関係なのです。
同じ年だけど、栄二は兄貴分、さぶは弟分、誰も異論はないはずです。

本作は作者の人間と言うものを巧みに描いた晩年の傑作だと言えそうです。
私はこの作品から人を信じ、人を許すことを学び取った気がします。
心に響く名作、作者に感謝したいです。

評価9点
posted by: トラキチ | 山本周五郎 | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |-