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『ブルックリン・フォリーズ』 ポール・オースター著 柴田元幸訳 (新潮社)
評価:
ポール オースター
新潮社
¥ 2,415
(2012-05-31)

原題"THE BROOKLYN FOLLIES"(2005) 柴田元幸訳。

まず読了後、その心地よさに酔いしれた。その心地よさの程度とは“この本以上の作品を今年は読めないであろう”という程度である。
読者自身、読んだ後ホッとさせられ自分自身が再生された気持ちになるポールオースターのストーリーテラーぶりが堪能できる究極の物語。オースターの作品をコンプリートしているわけではありませんが、何と言っても他作に比べてその会話の楽しさは圧巻ですね。
いろんな過去を背負って生きて来た人が多数登場しますが、そんなに人生に切羽詰まったところがないのですね。
たとえそれが狂信的な人であろうと、なんとなく許せてしまいます。
読者である自分もブルックリンに定住している気分で、近くにオースターが住んでいるような親近感が芽生えます。

そして主人公のネイサン、他の登場人物よりは少なくとも波乱万丈ではなく普通です。
その普通さ加減が読者にとっては入り込みやすいのでしょう。普通幸せって永遠に続かないものだって誰でもわかっていながら、その時々によって今が幸せかどうかさえわからない時があります。 それだけ人間って贅沢な生き物なのでしょう。 一寸先は・・・という言葉通り人生いろんな紆余曲折がありますよね。 本作はいろんな人物が登場し愚行を重ねる群像劇的な作品で、主人公であり語り手であるネイサンは凄く暖かな視点の持ち主です。

だが終始楽天的な話かと思いますがとんでもありません。 何といってもラスト2章です。生を強く肯定しつつも現実の厳しさを味わせてくれます。 読者に対して暗示的な部分が大きくて、必然的に読者は人生楽しくかつ一生懸命に生きなければならないと気付き、物語の中のさまざまなフォリーズ がくっきりと浮かび上がり自分自身の現実と照らし合わせることを余儀なくさせられます。

凄く苦しいのだけど、本を読むことの楽しみを再認識させてくれた有益な一冊となりました。
そしてこの本はフィクションという観念に捉われず、私にとっては現実を突きつけられるのだけど、それに立ち向かう“奇跡”を与えてくれた作品です。

最後に私が言うのも何ですが、柴田さんの名訳素晴らしいです。
特にオースターとは相性が良いみたいですね、早く『オラクル・ナイト』読まなくっちゃ(笑)

評価10点。
posted by: トラキチ | 柴田元幸翻訳本 | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『私たちがやったこと』 レベッカ・ブラウン著 柴田元幸訳 (新潮文庫)
2003年9月マガジンハウスから単行本刊行、2009年10月文庫化。
柴田元幸訳。

『体の贈り物』とは違った角度で楽しめる7編からなる幻想的な短編集。 冒頭の「結婚の悦び」と次の表題作は悪く言えば狂気じみてて非日常的、まさしく度肝を抜かれる強烈な作品ですね。 正直少し入り込めないなという気持ちがあったのですがその後(3〜7編目)は少しづつ落ち着いてきてホッとしたのも事実。 作品の根底にはやはり強い愛と言うのがあるんだろうけど、閉ざされ過ぎててあまりにシュール過ぎるのでしょう。 おとぎ話的に読めたらいいのでしょうけどね(笑) 皮肉なもので『体の贈り物』のような向き合う話の「よき友」が一番心に沁みた。
テーマ的には『体の贈り物』が死、本作が愛ということなのでしょう。
このあたりレベッカ・ブラウンという作家の作品の根底をなすところだと思って間違いないのでしょう。

ただその“愛”がとってもアブノーマルなんですね。少し表題作の冒頭を引用しますね。
“安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した。こうすれば私たちはいつも一緒にいるはずだ。二人ともそれぞれ、相手が持っていないもの、相手が必要としているものを持っているのであり、二人ともそれぞれ、相手に何が必要なのか、相手をどう世話したらいいかが完璧にわかっているのだ。”

まさしくアブノーマルなのですが、柴田さんはあなた=男、私=女で訳してくれていますが、これは読者向けと言うか一般向けですね(笑)、実はどちらも同性であってもおかしくないというかわからないらしいです。
逆にそのあたりがこの作家の特徴、もっといえば同性であって読むべきなのかもしれませんね。
ただ、全編を通してこの作家の作品は“人と人との関わりを結構大切にしているな”とは感じました。
アブノーマルな愛情も含めて一般読者はどうなんだろう、最初の2編を受け入れれるのだろうか。
大きな疑問が残るのですね。
狂気な愛って結局はもろいような気がするのです。
まあそのあたりは読者に委ねてるのでしょうが、再読したらまた違った感じ方が出来るかもしれませんが。
もっと懐の深さを味わえるかもしれません。

最後に本作は柴田さんのリズム感があって抑制のきいた訳文であるがゆえに体裁を保てているような気がします。
レベッカ・ブラウンが日本で結構人気を博しているのは柴田元幸翻訳作品であるからという部分が大きいような気がする、というかそれを確認できたと言っても過言ではない読書でした。
でも残りの本も頑張って読んでそこからこの作家を評価したいとは思っていますが。

評価6点。
posted by: トラキチ | 柴田元幸翻訳本 | 19:26 | comments(2) | trackbacks(0) |-
『最後の物たちの国で』 ポール・オースター著 柴田元幸訳 (白水uブックス)
原題"IN THE COUNTRY OF LAST THINGS"(1987) 柴田元幸訳。

ちょうど刊行されたのがニューヨーク三部作と『ムーンパレス』との間ですね。
内容は暗くて重い話なのですが、オースターの作品の中ではおそらく凄くわかりやすい物語であると思います。
作品の評価として個人的にはかなり高いですが、読書メーターなんかではあまり読まれた方いません。
ちょっと残念ですが原因はやはり版元(新潮社じゃなくって白水社)であるという点が大きいのかな。

どこの国かは明らかにされないが、主人公が兄を捜すために訪れた国の描写が魅力的である。
その国はタイトル通り“最後の物たちの国”いわば“滅びゆく国”なのである。
極限の状態の中でも生きる希望を失わずに前向きに生きているアンナ。
オースターの作品では多分唯一の女性主人公となるのでしょう。
アンナは出会いを通してさまざまな辛いことを乗り越え、周りの人々と力を合わせて行きそれが愛と行っていいのでしょうか、わずかですが希望が芽生えた時点で物語がエンディングとなっています。
そして書簡形式で語られる本作は、読んでもらえるかわからないけど書くという行為を通して希望というものを大きくふくらませているところが感動的ですね。

本作の中で描かれている国は小説内の架空の国であって、すなわち架空の話なんですね。
それは当たり前の話なんですが、昨年の3月11日以降あるいは日本の情勢などを考えて、結構示唆的な話だと受け取った読者も多いと思います。
私なんかそのひとりであってかなり読んでいる時に物語に引き込まれました。
ただ、少し導入部が読みにくかったのは事実です。
その後少しづつ理解できるようになってからは“釘付け状態”でした。

誰もアンナのように生きれないとはわかっています。
でもアンナが物語(正確には手紙ですね)を通して大きく成長したことを確認できたことが読者として希望をお裾分けしてもらったという感じです。

評価9点。
posted by: トラキチ | 柴田元幸翻訳本 | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『体の贈り物』 レベッカ・ブラウン著 柴田元幸訳 (新潮文庫)
評価:
レベッカ ブラウン
新潮社
¥ 540
(2004-09)

<テーマは本当に重いのですが、淡々と語られているが故に読者に対すインパクトが大きいのでしょう。柴田氏の素晴らしいシンプルな訳文が作者のいいところを引き出しているのがよくわかります。いつでも読み返せるように手元に置いておきたい作品集ですね。そしてあなたも読書を出来る幸せを実感してください。>

原題"The Gifts of the Body"(1994)、柴田元幸訳。ラムダ文学賞、ボストン書評家賞、太平洋岸北西地区書店連合賞受賞作品。

文庫本の裏表紙のあらすじを引用させていただきますね。

食べること、歩くこと、泣けること・・・重い病に侵され、日常生活のささやかながら、大切なことさえ困難になってゆくリック、エド、コニー、カーロスら。私はホームケア・ワーカーとして、彼らの身のまわりを世話している。死は逃れようもなく、目前に迫る。失われるものと、それと引き換えのようにして残される、かけがえのない十一の贈り物。熱い共感と静謐な感動を呼ぶ連作小説。


レベッカ・ブラウンについてはこちらを参照してください。

私たち読者の誰もがいずれ訪れる“死”。
避けて通ることはできませんよね。
本作の登場人物はエイズで苦しんでいる人たちが綴られています。
余命はあとわずかのひとばかり。
死を目前にしたエイズ患者達が、自宅で少しでも快適に過ごせるように料理や掃除などをサポートするのが“私”の主な仕事です。

淡々と語られている本作は主人公である“私”の葛藤の物語でもあると思う。
“私”はそうですね、患者と世話人という関係というよりも、人として真摯に向き合っている姿が印象的です。
“私”がいかに葛藤しているかを噛みしめて読み込むことができれば、本作をほぼ理解できたと言えるでしょう。

本作が日本人作家の作品との大きな違いは次のように思う。
それはいわゆる日本人得意というか特有のこれでもかという“お涙頂戴的作品”とは全然違うんですよね。
読者自身もいずれ自分の身に起こる“死”を予期し感じつつも、生きるということの素晴らしさをあらためて実感する作品なのです。
読後、他人に対して今までよりも少しでも優しく接することができるような気がする、不思議な効能のある作品です(笑)

それにしてもレベッカ・ブラウンという人はまなざしが優しい人ですね。
語り手の“私”がまるで作者自身のような気がして読まれた方が多いのでしょう。
なんとか安らかに旅立たせてあげようと努力するひたむきな気持ちを描いた手腕に恐れ入りました。
元来、本作のようなテーマの話は絶望的な話になりがちなんだけど、勇気と希望を感じ取れる読後感のいい物語でした。
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posted by: トラキチ | 柴田元幸翻訳本 | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『偶然の音楽』 ポール・オースター著 柴田元幸訳 (新潮文庫)
評価:
ポール オースター
新潮社
¥ 620
(2001-11)

<著者の代表作である『ムーン・パレス』と合わせて読むと余計に効果があがりそうですが、ラストの凄まじさは翻訳作品であるが故の爽やかさを感じました。でも、それが正しい読み方なのかどうかは少し疑問ではあります。>

原題 “The Music of Chance”

構成的には前半と後半とでは全然違いますが、いろんな成り行きがあってこそ後半が生きて来るところが素晴らしいですね。
あとは、自分自身がナッシュに似てるのかそれともボッツイに似てるのかを常に考えながら読むと凄く付加価値のある作品だと言えます。どちらが人間らしいかを深く考察するだけでも奥行きがあるんですよね。
誰しもナッシュのような強い部分とボッツィのような弱い部分が表裏一体となって併せ持っていると思うのですが、この作品に関しては私的にはボッツィに似ている部分が多いと認識している人の方が本作を読んだ価値がよりあると言えそうですね。

物語の内容そしてスピード感はアメリカ文学ならではのものですね。
人生は偶然の繰り返しであってたまたま大金(遺産)を得た主人公で元消防士のナッシュなのですが、赤いサーブに乗りまくりほとんど使い果たしてしまいます。
そして運命の自称天才ギャンブラー・ボッシュとの出会いですね。

あとは彼ら2人との対比としてのフラワーとストーン。
彼らはやはり権力者としての意味合いが強いでしょうか、徐々に本性が浮かび上がってきます。

物語の後半でひたすら石を積んでいくナッシュとボッツィ。
これは忍耐力のいる労働ですが、やはり無力に感じるのはその労働をしなければいけなくなったいきさつがいきさつだからですね。
そう借金を返すために働かされるのです。
そこでの見張り役のマークスの圧倒的な存在感が印象的ですね。
彼が何を考えているのかは読者泣かせというか、オースターの術中に嵌った感じです。

そして読んでのお楽しみなのですが、ボッシュの取った行動は愚かだったのでしょうか?
私個人的には確かに愚かだったかもしれませんが、決して責められないことだと思ってます。
その答えとしてオースターが、彼がどうなったのか具体的に書いていないところが心中、ボッシュの行く末を案じていることを暗示しているように思えるのですね。
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posted by: トラキチ | 柴田元幸翻訳本 | 19:48 | comments(2) | trackbacks(0) |-
『ガラスの街』 ポール・オースター著 柴田元幸訳 (新潮社)
評価:
ポール・オースター
新潮社
¥ 1,785
(2009-10-31)

<ニューヨーク三部作の第1作目の作品。今回柴田さんの訳本が発売され3冊とも柴田訳で読めることになった。本作は孤独な主人公の人間としての根源にあるものを謳う作品なのでしょうが、作品の良し悪しよりも柴田さんの素晴らしい訳文に浸るべき作品と言えるかもしれませんね。>

ポール・オースターのデビュー作が念願の柴田元幸訳で読めるようになりました。
現在、翻訳家としては人気実力ともに第一人者と言える柴田さん。
その中でもポール・オースターはミルハウザーとともに柴田さんが訳されている代表的な作家です。
言わずと知れたことでしょうが(笑)
私に限ったことですが、“ポール・オースターだから読むと言うより柴田元幸訳だから読む”と言ったほうが適切ですね。
それほど安心して訳文に向き合える訳者と言えそうです。

そもそものはじまりは間違い電話だった。真夜中に電話のベルが三度鳴り、電話線の向こう側の声が、彼ではない誰かを求めてきたのだ。ずっとあとになって、自分の身に起きたさまざまなことを考えられるようになったとき、彼は結局、偶然以外何ひとつリアルなものはないのだ、と結論を下すことになる。(本文冒頭より引用)


印象的な冒頭分ですが、読み終えて理不尽なことは理不尽なことから始まると言ったらよいのでしょうかね。

本作の原題は「CITY OF GLASS」。
ちょっと内容的には深く読みとろうとすれば複雑ですね。曖昧さゆえの複雑と言うべきなのでしょうか。

邦題の「ガラスの街」の“ガラス”という言葉がこの物語の曖昧模糊的な要素と喪失そして孤独感の漂う雰囲気を上手く表しています。
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posted by: トラキチ | 柴田元幸翻訳本 | 13:38 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『ジーザス・サン』 デニス・ジョンソン著 柴田元幸訳 (白水社)
評価:
デニス ジョンソン
白水社
¥ 1,890
(2009-03)

 <正直、柴田元幸訳だから完読出来た退廃的な世界を描いた一冊。
白水社エクス・リブリスの第一回配本作品なので非常に期待したのですが、作者が何を言いたいのか理解し辛い作品集でした。逆にそこがこの本の魅力なんでしょうが。
ユニークさ、斬新さにおいては魅力があるのかもしれないが、消化できるのにはやっかいな一冊だと言えるでしょうね。>


白水社の新しい海外文学シリーズ<エクス・リブリス>の第一回配本作品。
読む前は新潮クレスト・ブックスの白水社版だなと思って、作品としての“品格”を期待して読んだのであるがそう言う意味合いにおいては大きく期待を裏切られた一冊である。

この作品集が原書で出版されたのは1992年。時代性がある作品であるかどうかは定かではないが、主人公であり麻薬常用者かつアル中の“俺”のぶっ飛びぶりが読者にとって快感であるか否かがこの作品の評価につながるのである。
そして個人的な結論を言えば、“よく読み終えれた”という言葉がもっともこの作品に対する私の率直な気持ちを表すのである。
よく“万人に受け入れられる本”、あるいは“読者を選ばない本”というような形容がなされる本があるが、本作はこういった言葉にもっとも当てはまらない作品であると言えよう。


思うに白水社も凄く思い切った選択をしたものである。
柴田元幸という“稀代の翻訳者”を起用してのシリーズ第一作。



敢えてこの作品を選ぶ必要があったのであろうか?
とっても疑問に思えるのであるが、たとえば“一筋縄で収まらないシリーズ”というイメージを植え付けるのには効果があったのかもしれませんね。

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posted by: トラキチ | 柴田元幸翻訳本 | 17:52 | comments(0) | trackbacks(0) |-
『昨日のように遠い日 少女少年小説選』 柴田元幸編 (文芸春秋)

 <少女少年時代にはもう戻れないけど、この作品集の中ではプレイバックすることができます。
永年、翻訳小説を読んでない私みたいな人には入門編としても格好の作品集とも言えよう。
ちょっと自分自身残念だったのは皆さんが絶賛しているダニイル・ハルムスの詩。もちろんおとぎ話的な内容を楽しむべきなのだが、自分の感性不足を痛感しましたわ。
そういう意味でも私に“現実”をつきつけ“宿題”を与えてくれた作品集ですね。柴田元幸さんに感謝!>

日本の翻訳小説シーンを席巻していると言って過言ではない柴田元幸さん編集の少女少年小説アンソロジー。
全部で13篇と特別付録(折込漫画ですね)2篇ついてます。


取り上げられている作家は有名どころから、普段耳にしない人まで8人登場します。
バリー・ユアグロー(柴田元幸訳)
アルトゥーロ・ヴィヴァンテ(西田英恵訳)
ダニイル・ハルムス(増本浩子、ヴァレリー・グレチェコ訳)
スティーヴン・ミルハウザー(柴田元幸訳)
マリリン・マクラフリン(小澤英実訳)
レベッカ・ブラウン(柴田元幸訳)
アレクサンダル・ヘモン(柴田元幸訳)
ウォルター・デ・ラ・メラ(柴田元幸訳)


内容的にはタイトルとなっている『昨日のように遠い日』から想像できるように、現在少年少女である人より、かつて少女少年だった人向けだと思える。
なぜ“少年少女”でなく“少女少年”なのかはさだかではなく、柴田さんに聞きたいくらいだが、私の推測するには―性読者の方が多い⊇性読者の方が気に入ってもらえる3気靴峠性の方が感受性が豊かである・・・この3つのうちに答えがあるように思えます(全部かもね)

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posted by: トラキチ | 柴田元幸翻訳本 | 09:59 | comments(2) | trackbacks(1) |-